コンテスト
受賞事例

【就労事例部門】MEP賞
公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)

40歳を過ぎた頃、突然、目に異変が。
IT機器を活用し、取材と原稿執筆をこなす。

 日経BP社で編集者として勤務し、中小企業経営者向けの月刊誌『日経トップリーダー』の付録音声CDやメールマガジンなどを担当しています。
 40歳を過ぎた頃、突然、目の異変に気づきました。大学病院へ行くと、治療法のない網膜色素変性(RP)と診断され、ショックで仕事が手につかなくなりました。ただ、転職するつもりはありませんでした。十数年間の経験で得た知識やノウハウを無駄にはしたくなかったから。
 主な仕事は、インタビュー収録と原稿の執筆・編集。心がけているのは、事前に取材相手に視覚障害であることを伝えておくことと、初めての取材相手のときは2人で行くこと。取材に支障はないのですが、移動や動作の面で相手に迷惑をかけたくないので。
 患っているのは、視野狭窄、色弱、夜盲。かつて同じ編集部にいた視覚障害のある先輩の「IT機器を使いこなせ」というアドバイスを思い出し、パソコンでは文字を白黒反転させて読み、スマートフォンを使って音声入力するなど、IT機器を活用しています。矯正視力が0.2あるので、ルーペで拡大すれば細かい資料も大丈夫です。今年の夏から、音声パソコンの訓練を受けています。
 ある企業の会長は取材後、私の手を引いて玄関の階段を下り、外まで送り出してくれました。そんな心遣いや協力、応援に感謝する毎日です。

審査員コメント

視力低下を起こしても、以前から従事していた仕事を工夫しながら継続している様子がうかがえました。視覚障害があっても編集者としての仕事はできるのではないかと想像していましたが、その通りで、素晴らしい事例だと感じました。先輩からの助言は私も感じているところです。事前準備もうまく機能していると思います。
公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)

公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)
応募者/田中 和之(雑誌編集者)

中途失明の原因となることが多い網膜色素変性およびその類似疾患の、治療法研究の助成活動と啓発活動を行っています。本協会は、それらの活動を通じて、網膜色素変性等の患者の自立を促進することを目的としています。
http://jrps.org

数店舗の小売業を展開しつつも、自分に合った不動産賃貸管理業を起業。

 大学卒業後、生命保険会社に就職し、38歳まで勤めました。その後、贈答品の販売業、輸入雑貨店を4店舗経営、コンビニエンスストアを2店舗経営するなど関心のある仕事に従事しながら、並行して不動産賃貸管理業も始めました。
 数年間、店舗を経営するなかで、小売業は自分には合わないと感じるようになりました。大学在学中から患っていた網膜色素変性のこともあり、大きな失敗をしないうちに小売業をやめようと考え、段階的に店舗を閉じていきました。そして、最後に残したのが不動産賃貸管理業だったのです。
 不動産賃貸管理業は、平たく言うと集合住宅の“大家さん”ですが、遊休地を土地活用する目的で始めました。生命保険会社を退職した当時、自宅新築のために住宅メーカーを訪れたり、住宅展示場を見学するなかで関心を持ったからです。
 主な仕事内容は、建物の管理、メンテナンスの手配やクレーム処理、不動産業者まわりです。ときには、公認会計士や弁護士事務所に赴いて相談することもあります。視野は5度以内でほとんど中心しか見えないので、仕事で外出するときは常に白杖を使用し、スタッフの運転と誘導に頼っています。快適できれい、リーズナブルで迅速な対応をモットーに建物管理を行い、入居者が満足できるよう努めています。

審査員コメント

日本網膜色素変性症協会では団体として多くの取り組みを集めておられます。総合的に評価したい。いずれも大変努力されていると思います。
公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)

公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)
応募者/長澤 源一(不動産賃貸管理業)

中途失明の原因となることが多い網膜色素変性およびその類似疾患の、治療法研究の助成活動と啓発活動を行っています。本協会は、それらの活動を通じて、網膜色素変性等の患者の自立を促進することを目的としています。
http://jrps.org

「動」から「静」への仕事の転換で、細く、長く働くことが可能に。

 運転免許が更新できなかったことを機に病院で受診したところ、網膜色素変性であることがわかりました。42歳まで保育士として働いていましたが、転倒することが多くなり退職。以前から総合病院でボランティアを行っていたのですが、院内に図書室が開設された際、医師からアルバイト勤務を薦められました。学生時代に司書の勉強をしていたこと、長く保育士として勤めていたので絵本に関する知識を持っていたこともあり引き受けました。
 勤務するときは1日5時間。1人で対応していますが、常に上司である保健師が控えているので、必要なときは応援を求めることができます。来室者が求める本を探すときも、背表紙のタイトルが判読しづらくて手間取ることもありますが、来室者に一緒に探してもらって見つけるようにしています。また、図書室の鍵を受け取る際に用紙に名前や時間を記入するのですが、見えにくいので時間がかかります。そんなときも、相手の方に時間を教えてもらっています。
 保育士の仕事は、動き回る子どもが相手だったので大変でした。けれども、本は動きません。「動」から「静」の仕事へ転換したことで、細く、長く働くことが可能になったと思います。働きがいも生まれ、今、パソコンのスキルアップを図ろうと訓練施設に通っています。

審査員コメント

保育士だった経験を生かし、図書室の司書へ。仕事の内容に関連性を見出しながらも「動」から「静」へと転換したことが、転職を成功させたポイントでしょう。「できません」と言える環境や、困ったときは助けてもらえるという安心感が、障害がある人が生き生きと働ける職場や社会をつくるということに気づかされました。
公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)

公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)
応募者/I・I(総合病院勤務)

中途失明の原因となることが多い網膜色素変性およびその類似疾患の、治療法研究の助成活動と啓発活動を行っています。本協会は、それらの活動を通じて、網膜色素変性等の患者の自立を促進することを目的としています。
http://jrps.org

起業した花栽培を継続できたポイントは、生産者のネットワークと障害者年金。

 市役所職員として勤めていましたが、25歳のときに網膜色素変性と診断され、36歳の頃に光覚弁(光の明暗だけを区別できる状態)となり、退職しました。運良く実家に畑があったので、そこで花の栽培を始めました。ビニールハウスなど初期投資に2,000万円かかりましたが、農協に借りて事業をスタート。起業当時は1人で作業していましたが、現在、従業員は約10名。借金も完済しています。
 ハウスの入り口に段差をつけてわかりやすくし、花や道具は常に同じ場所に置くなど、働きやすいよう工夫しています。水やりは、鉢植えの土にふれ、その湿り具合で水量を調整しています。
 ただ、出荷伝票は手書きなので、自分では書けません。パソコンで作ったものを従業員に手書きで作成してもらっています。また、葉っぱの変色も見分けられないので従業員に任せています。色識別アプリもありますが、花は何万鉢もあるので…。
 順調に仕事を継続できたのは、生産者どうしのネットワークがあったからこそ。起業後の数年間は花を枯らすなど失敗もありましたが、40歳頃に花組合に入り、先輩から指導していただき、栽培技術を向上することができました。また、退職後から障害者年金を受給していたので、収入が不安定なときも生活を安定させられたことも継続できた理由だと思います。

審査員コメント

光覚弁まで視力が低下した状態で花栽培の仕事を始められたことに驚かされました。初期投資も返済し、従業員を10名も雇用するまでに至る過程には、大変な苦労があったことが想像されます。視覚障害があっても、方法次第でさまざまな分野で就労することが可能であることを身をもって示されています。
公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)

公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)
応募者/河原 洋紀(株式会社銀河農園)

中途失明の原因となることが多い網膜色素変性およびその類似疾患の、治療法研究の助成活動と啓発活動を行っています。本協会は、それらの活動を通じて、網膜色素変性等の患者の自立を促進することを目的としています。
http://jrps.org

ものづくりを続ける視覚障害者にとって、大事な要素は手の感覚と、加工する音。

 45歳のときに網膜色素変性と診断されました。金属加工を仕事にする家業を継いでいましたが、2010年に廃業。現在は、客先に機械を置いて仕事をしています。
 仕事の内容は、旋盤を使ったオートバイの照明用部品の加工です。直径200ミリ、高さ30ミリ、厚さ0.8ミリの鉄製の金枠を金型に入れ、押さえ冶具で押さえ、ローラー冶具2個を使って樹脂製のランプケースに勘合する段差をつけ、旋盤切削加工で仕上げます。旋盤の目盛りが見えないので、代わりにストッパーをセットして加工しています。入りゲージと止まりゲージを使用して、寸法の公差を満たすようにしています。
 視覚障害者が機械を使ってものづくりをする際に欠かせない要素となるのが、ハンドルを握る手の感覚と、加工するときに発生する音。それを頼りに仕事を続けていますが、68歳になった今、視力は右が0.05、左が0.4。視野欠損率は92パーセントです。発症した45歳のときは、左右ともに1.0、視野欠損率は90パーセントでした。最近、できあがった加工品の細かな形状や傷が見えにくくなってきたのも事実です。刃物が勢いよく回転している状態で作業を行うので、指に怪我を負う可能性もなくはありません。仕事は充実しているのですが、左の視力が0.2になったらそろそろ限界かなとも感じています。

審査員コメント

日本網膜色素変性症協会では団体として多くの取り組みを集めておられます。総合的に評価したい。いずれも大変努力されていると思います。
公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)

公益社団法人 日本網膜色素変性症協会(JRPS)
応募者/小林 正志(金属加工業)

中途失明の原因となることが多い網膜色素変性およびその類似疾患の、治療法研究の助成活動と啓発活動を行っています。本協会は、それらの活動を通じて、網膜色素変性等の患者の自立を促進することを目的としています。
http://jrps.org